個人的まとめ

なんか色々だよねもはやちはや

大切な人が居なくなった日

死などの暗い話が出る僕の実体験です。

あまりこういうのを書くべきではないのかと思ったんですが1度自分の心を書いて何処かに置いときたいと思ったので許して

言ってしまえば自己満足な文書です。

後思ったことを書いているのでとてつもなく汚い文章です、見やすい文章ではないです。

すぐ消すかもしれないし残しておくかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月中旬、僕の育ての親とも言える祖母が亡くなりました。

人生で初めて、身近な人間が亡くなった日でした。

祖母は母子家庭で母が働いている間ずっと一緒にいた人です。毎日の朝ご飯、夜ご飯、高校の間のお弁当も祖母が作ってくれていました。母親代わりみたいなものです。母いるけど

料理が好きでフレンチトーストやお好み焼きをよく作ってくれました。コーヒーゼリーに凝ってた時期もありました。

臨場が好きで再放送で流れるとニコニコしながら見てる姿が好きでした。

無理をする癖があってそれを人に言わないところがありました、察してあげれることの方が少なかったです。

たまに面倒臭いと思ってしまう時もありましたが、それに勝るくらい大好きな人でした。

 

最近入院が増えてました。肺炎から始まり心臓や肝臓などが悪く入院が続いてました。

 

亡くなる数日前、普段病院を嫌がる祖母が初めて病院に行きたいと言いました。確かに呼吸が荒く普段とは違う感じがしました、歩くと息切れして苦しそうと。

急いで家族で病院に行き診察室までは手を繋いで歩きました。今でも弱々しく、でも決して離さないように握る手を思い出します。

僕が半ば本気でおぶろうか?と聞くといいよいいよと笑って返事をしました。

昔から大きくなったらおぶって2階の寝室まで運んであげるね!と言ってはやめてよと笑って返事をするのがお決まりのやり取りでしたが、今回は本当におぶっておけば良かったなぁと今になって思います。

 

病院に行きたがらない、入院も毎回しぶしぶだった祖母が自ら望んで入院を選んだのももう体が限界だったのかなぁと、ごめんね、もっと早くに気付いてあげられなくて

 

入院生活が始まりましたがコロナの影響もあり面談できるのは母のみ

僕と祖父は家で母がしてきた会話の内容を聞くくらいしか祖母の状況を知ることは出来ませんでした。

 

数日後、祖母はICUに移動になりました

 

それから暫くして家族全員が呼ばれるようになりました。その時点では誰も祖母が亡くなるなんて考えてもなかったし考えたくも無かったですが、今思うと病院側の最大限の配慮だったのかなぁと思います。

 

入院後初めて会った祖母は既に生きるのに精一杯、のような状態でした。この時が1番辛かったです。目も合わずひたすら呼吸を頑張ってする状態の祖母を見るのが辛くて何かの間違いなんじゃないかと思ってしまうくらいでした。

 

このとき担当医の方にも覚悟はしてくださいと言われました。

 

覚悟といわれても、できるはずもないです。

 

僕は意味すらも理解できてなかったと思います。

 

次会った時には呼吸器をつけた看護師の方に誰が来たかわかる?と大声で問われも首を横に振る祖母がいました

 

多分最後に意識のある祖母を見たのはこれが最後です。

 

もっと大きな声で呼びかければよかったな

後悔しかないですね

 

簡易的な人工透析も始まり次に会う時は機械に生かされてるだけの状態でした。

担当医からはもう可哀想だから、もし心臓が止まっても心臓マッサージをしたくない、これは個人的な感情の話になってしまって、本来はするべきじゃないんだけど、長いこと担当させてもらってて色々わかるけどこれ以上は…みたいな話をしていましたが、母がそれを拒否、最後まで頑張って欲しいとお願いしました。僕もそれに賛同しました。

 

朝?深夜?多分深夜に病院に呼ばれて急いで準備して病院に向かって、1度心臓が止まったので心臓マッサージをして心拍を戻したと、そういう話をされました。

その直後また心拍が止まり、生まれて初めて心臓マッサージを見ました。体が凹み無理矢理こちらに戻してくるようなそんな風に見えてしまい、母にこれ以上は可哀想だと話相談した結果、次に心臓が止まっても心臓マッサージはしないでくれと頼みました。

これが多分目の前で見ていなかったら何度もお願いしていたと思います。

 

 

その数分後、祖母は心臓が止まり亡くなりました。

 

ICUから出るまで、僕は悲しいという感情も何も沸きませんでした。現実味が全くなかったです。

 

ただ隣の母が泣き崩れた時、初めて本当に祖母が亡くなったんだと理解しました。

そこから涙が止まらなくなりずっと泣いていました。声を出して長い時間泣いてしまいました。

 

祖母ともう一度会った時、機械などは取り外されて、久しぶりに静かに眠っている姿を見た気がしました。

凄く凄く美人で綺麗な顔で眠っていました

昔は綺麗だったって本当だったんだなぁと

泣きながらありがとうと何度も言った記憶があります。

 

家に帰り祖母の布団を片付ける時にまた泣きました。二度と使わないだなと

 

葬式の相談など色々な事がその日のうちにどんどん進みました。

 

葬式で火葬する際に一緒に燃やす物の1つとして手紙を書くということで書きました。

 

母の手紙、中身は見なかったんですが宛先が「ママへ」になっていて、初めて母の本当の祖母の呼び方を見てさらに泣いてしまいました。

 

色々ありすぎた一日が終わりました。その日の僕は17時間以上寝ました。その日以来祖母のことで泣くことは無くなりました。涙はその日出し切りました。多分、いつかまた出てきたらそれはそれということでね

 

 

最後に適当に心の声を書く

 

 

僕には身近にいた父は居なかったけど、身近にいた母は二人いました。それだけで幸せ者です。

しかも父には極偶に会えていたし、最強無敵

幸せもんだな〜〜ってつくづく思います。

だからこそ僕自身がだらしないダメ人間で申し訳なくなるよね…頑張ります…見てて…

 

うちは男がだらしなくて長生きして女がしっかり者で長生きしないみたいなところあるんですよね、僕は僕が死んで悲しむ人が出ないならこれでもいいかな〜って思います。最後まで悲しむのは僕だけでいいよまじで。めちゃくちゃ辛いもん

 

僕は祖母と母が世界で1番大切な人です。これからもそれは変わりません。もしかしたらこの先新しい大切な人が現れるかもしれませんがそれは1番が増えるだけで、2人が2番になることはありません。その気持ちだけはきちんと形にしておきたいと文書にしてみました

 

くそ汚い雑文章もし最後まで見てくれた人いたらあざまる!